幼い頃の私

兄がこの世を去ってから、遺族である兄の妻と子供たちに遺品があるならば渡さなければ、と言うことになったのだが実家に残していった物など何もなかった。兄は、家族との関係を絶つのに基本的には、全ての痕跡を残さずに実家を去っていたようだ。ある面徹底しているとも言えるが、そうまでしなければいけなかったことが、私には甚だ理解に苦しんでしまう。彼にとっては退路を絶つのには、そこまでしなければいけないと感じていたのだろう。

しかし、兄自身が生前に唯一持ち出すことを忘れた物があったと話をしていたらしいのだ。それは、兄自身の幼少期の写真、アルバムだった。自分の子供たちに幼い頃の姿を見せたかったようなのだ。たぶん親子の会話の中でも、そんな話になったのかもしれない。アルバムを取りにくれば、それで済むことだし、難しいことではないはずなのに、たぶん嫌だったのだろう。そんな姿を父や母に見せなければいけないことが、彼の美意識に反することだったのかもしれない。

そんなわけで実家の納戸から遺品たるアルバム捜しになったのだが、おそらく何十年と人目に晒されることがなかったその物を見るにつけ、私は幼い頃の自分や家族に遭遇することになってしまった。

そこには紛れもなく日本が高度成長期の真っ只中で、郊外の住宅地にある父の会社の社宅で、生まれ育った兄と私、そしてまだ若い両親の姿があったのだった。

古ぼけたアルバムに、父がつくったセピア色の家族が写しこまれていた。どこにでもある幸せな四人家族の断片がそこかしこに存在していた。

それがどうして、兄は軌道を外れるように父や母、そして私と袂を分かって生きなければいけなかったのだろうか。

埋もれていた記憶が少しずつ解きほぐされていくように甦るうちに私には、ひとつの疑問が湧いてきたのだ。兄は、本当は持ち出すのを忘れてはいなかったのではないのか。たぶんもう戻ること、やり直すことができない自分の過去を捨てるべく、アルバムは忘れたのではなくて置いてきぼりにされ、封印された過去だったのかもしれない。

そんなことを考えていると、兄の遺族にこれを届けることが本当にいいことなのか、彼にとってそれが本意でなかったらと思えてしまったのだ。時空を越え写真の中にいる兄と、死ぬ間際のその人は全くの別人格の男で、過去をほとんど語ることなく、家庭を守りひたすら穏やかに現在を生きていたなんて話を聞くと、私は少し躊躇してしまったのだ。

しかし、私は兄に関する全ての写真を届けることにした。生前の兄が、自分の小学生時代の遠足の時の写真を数枚だけ、大事に保管していたことを知らされて、できる限りの写真を渡すべきだと思うとともに、それが残された遺族にとっても、兄が語りたかった自分自身の姿であり、彼の思い出をとどめて置く為に必要ならば協力しなければいけないと感じたからだ。

人間の記憶は、曖昧だ。そして、どんどん頭から消えてなくなっていく。だから、写真は大事なのだ。

それさえあれば、過去の出来事を簡単に思い出して、自分以外の誰かと、その時の気分を共有することさえできる。そして思い出にひたることだってできるのだ。

それ故に大規模な災害の時は、何を差し置いても持ち出す人さえいるそうだ。

しかし私には、それを共有出来るはずだった兄はもういない。年老いた両親は、写真は存在していても、過去の出来事を明確に思い出すことができなくなってしまっている。

幼い頃の私は、セピア色になった写真とともに、もう私の頭の中だけにある記憶となってしまった。いずれは、父がその昔に作った4人家族のことなど私以外誰も思いだすことなどなくなってしまうのだろう。

写真の中の幼い頃の私は、無邪気に笑っていたり、不安そうな顔をして両親や兄に寄り添っていたりする。当時の私はいったい何を考え、感じていたのだろう。兄は、どんな気持ちで家族と一緒にいたのだろうか。もう聞くこともできない。

いつもどおりの朝が来て、私は今日も何事もなかったように仕事に追われ、疲れきった体を引きずりながら人ごみに紛れ、ただ家路を目指す。人はどんなに抗っても悠久の時の流れに呑み込まれてしまう。写真の中で寄り添っていた4人家族は、あと数年で本当に私だけが一人ぼっちで取り残される。

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